2017/8/13

そういえば最近箸休め(?)にプラトンの『パイドン』を読んでいて、「霊魂不滅の証明」のあたりを読み終わった。心身二元論に反対するものとしてこの証明にはすべて反論しなければならない。概ね「魂」という言葉の定義が曖昧で、いろいろなもの(意識、生命など)を「魂」という言葉に読み込んでしまっているところからこの証明が来ている気がする。例えば想起説に基づいた証明では、経験からは得られない知識の存在から一気に魂が生前も存在していたことまで主要される。現在ではチョムスキーなどが「刺激の貧困論証」などと言っていることと似ているが、その場合そのような知識は脳に器質的に備わったものだと考えられる。こういった後付けの科学知識の話を抜きにしても、想起説による証明には知識がすべて経験から得られるという(おそらく誤った)前提がある。つまり生前に魂が存在していなくても私たちは経験によらない知識を最初から持って生まれることが可能だろうということだ。他に「生きていること」というイデアは変化しないから魂も不滅であるという証明もあった。確かに「生きていること」そのものの概念(形相)が生成変化することはないだろう。しかしだからと言って思考する実体が不滅であるということにならない。ここにも「魂」という言葉が曖昧すぎるという問題があるように思う。