2017/6/27

研究発表のためにいろいろ書いていたら、なぜか世界そのものの認識というところが問題となってきた。例えば個別の対象の認識の総和として世界が考えられるかどうかは一つの問題である。ひとつのシステムを理解するためにはその構成要素を個別に理解するだけでは足りず、それらの相互関係まで視野に入れる必要がある。しかし個別のもの同士がどう関係するのかはを知るためには全体を俯瞰的に知っている必要がある。分節化されていない全体の直接的な認識は可能なのだろうか。ショーペンハウアーは世界そのもの=「意志」の直接的な認識ということを語っている。しかしそれは証明されない直観的なものであり、読んでいて少々不満があった。しかし言語的な認識はすでに分節化されているという考え方もある。なぜなら言語はすでに世界の一部分を切り取っているからだ。そうすると世界全体の認識は言語によらず行わなければならないということになる。言語の領分を超えるならそれは哲学の領域ではないかもしれない。