2017/8/30

今日も"Every Thing Must Go: Metaphysics Naturalized"を読んでいる。2章を読み終わったところで筆者たちの言う構造実在論というものが大体見えてきた。これはこれまでの科学的実在論のようになんらかの個物に実在性を与えるのではなく、現象間の関係性などの様相性を持った構造に実在性を与えるという考え方であるらしい。こうすることでパラダイムシフトにおいて科学的実在論が被ることになる存在論的な不連続性が回避される。なぜならパラダイムシフトの前後でも自然法則や方程式の構造は変化していないからだ(いくつか実例が示されていたが科学の変化全てがそうなっているかどうかという点には疑問の余地がある)。そしてまた科学の対象に実在性を認めているのだから、構成的経験論(反実在論の一種)ともまた異なる立場である。さて、そのような構造実在論で言われる「構造」は非形式的にいえばデネットのいう「リアルパターン」であるらしい。このリアルパターン論を構造についての実在論と解釈する視点は個人的に面白かった。確かにパターンをなんらかの個的対象だと考えるよりは構造やプロセスだと考えた方がしっくりくる。その場合に名詞が何を意味するかというとそれはリアルパターンの「場所」を指定するものであるらしい。ただしデネットはこのパターンが実在するというのは「明示的イメージ」上に実在するという意味だと考えているようである。明示的イメージ上の実在をそのまま科学的実在論で言われるような実在と受け取ってよいのかは検討に値する。個人的には我々はそれぞれのイメージの外の世界を知ることはできないのだから、世界=イメージと考えてもいいような気がしている。これは現象学的な視点になるが、ハイデガーはそこから進んで現象=存在者だと捉えているようだし結構ありなのではないだろうか。