2017/7/30

ネタバレになるといけないので名前は伏せるがある小説で「遺伝子の保存という観点から見て親殺しは優れた行為である」という主張を見つけた。つまり親の遺伝子は子供という若い個体に複製されたのだから親のものはもう必要ないということらしい。この考え方は誤りなのでそのことについて書きたいと思う。仮に親から子へと遺伝子が完全に複製されるとしても、特に作中で言われるように父親の場合それが新たに複製される可能性は残っている。なぜなら子供を作った後でも親には生殖能力がまだ残されているからである。だから親を殺すことは自分と同じ遺伝子が複製される可能性を狭めることにつながり、遺伝子の保存という観点からは明らかに誤った行動である。次に親から子への遺伝子の複製は減数分裂によって完全なコピーとはならない。それは父親と母親から半分ずつ受け継ぐもので、さらにその過程で様々な変化を被っている。それゆえに例えば作中のように父親が自分の遺伝子の単に古いだけのコピーであるという主張は間違いである。以上の点から上記の命題は誤りなのだが、それにしても仮にそれが正しいなら自然界で親殺しは横行しているはずであり、直感的にも違和感があるだろう。まあ小説内の薀蓄に真面目に反論するのもナンセンスだと言われればその通りなのだけれど……。