2017/6/11

今日も"Sex and Death"を読んでいて、第10章ではいわゆる"adaptationism"と呼ばれる立場の是非が検討されていた。Godfrey-Smithによると"adaptationism"には"empirical adaptationism""explanatory adaptationism""methodological adaptationism"の三種類があるらしい。"empirical adaptationism"は進化の歴史よりも現在の環境への適応が重要だという考え方、"explanatory adaptationism"は進化の歴史による制約は認めつつも自然選択だけが複雑な有機体のシステムを説明してくれるという立場、"methodological adaptationism"は生物学は適応的な「良いデザイン」を対象とすべきだという立場であるようだ。"explanatory adaptationism"はさまざまなモデルを使って生物に進化を予測したり、反対に進化の歴史を説明したりするのだが、グールドは環境に適応した個体が生き残るという主張が反証不可能である点が気に入らないらしい。これに対して筆者が持ち出してきたのがラカトシュの「リサーチプログラム」で、「環境に適応した個体が生き残る」という理論の「ハードコア」は反証されずそれが生み出す予測などが反証されるという立場である。このラカトシュの話などは学部一回生の頃に科学哲学の講義で聞いた記憶があって懐かしい気持ちになった。"empirical adaptationism"については有機体の既存の構造が環境への適応をどれくらい制約しているかという話になる。その度合いが大きいなら歴史の方が現在の適応度よりも重要であり、反対に小さいなら"empirical adaptationism"が勝利することになる。この辺りはオープンなままにされているがどちらの立場も一定の説得力があると思う。しかし進化の歴史と適応度のどちらかだけが有機体の構造を決定するということはありえないので、度合いの問題ということになる。