2017/6/8

今日も"Sex and Death"を読んでいたら「種」の定義が話題になっていた。デネットはダーウィニズムを"essentialism"の否定だといって生物に内在的な「種族」という属性がついているという考え方を否定していた。"Sex and Death"でもこの筋の主張は認めつつ、しかし集団間での遺伝子のやりとりが比較的少ないなどの理由から種を定義できると主張されている。確かに遺伝子の流動が「ある」か「ない」かでの定義はできないが、スペクトラムの中である程度恣意的に線引きするという形でなら可能かもしれない。このように"essence"によって種を定義することを諦めれば道が開けてくる。これはおそらく全か無かの定義がデネットが"From Bacteria to Bach and Back"で言っていた「デジタル化」によるものだからなのだろう。私たちの認識を超越した世界はアナログ的で、デジタルな線引きは不可能である。そのことの認識によって定義はすべて恣意的だと認めることができ、そしてある程度の曖昧さを持った形で種というものを再定義できる。このようなプロセスは例えば禿山のパラドックスのような様々な問題の解決に使えそうだ。