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2017/4/23

セラーズ『経験論と心の哲学』のコメンタリーを読んでいる。デカルトが主張するような感覚の直接性、つまり「〜と見える」という文が誤ることが無いという性質についての解説が面白かった。残念ながら本編を読んでいても理解できなかったがコメンタリーを読んで初めて理解できたので、読み飛ばさなくてよかったと思う。結論から言うと「〜と見える」という文が不可謬なのは、そのような文を主張するときにその正当性にコミットメントをしていないからなのである。そもそも正当性を主張していないのだから反証されるはずがない。このような「〜と見える」の文によって知識を基礎づけること、つまり所与の神話は全面的に崩壊することになる。信念の正当性はその信念を正当化の系列としての「論理空間」に置き入れることによってなされる。ゆえにある信念を主張しコミットすることは、その信念によって新しい他の信念を正当化する責任を負うことなのである。分析的な認識論の話を読んでいたはずが責任や義務といった規範的な用語が出てくるのが面白い。しかしながらある部分では「自然主義的誤謬」といったことを認めながらせ「正当化すべき」といった当為の主張を行うのは大丈夫なのだろうか。単に信念へのコミットメントは他の信念を正当化しようという意志の現れだといってもいいような気がする。