2017/3/6

朝起きた瞬間にひどい偏頭痛がしたのでそのまま倒れていたら一時間ほどが無為に過ぎ去った。頭が痛いと身体を動かす気にならないのは奇妙なことのように思える。なぜかというと頭が痛いことによって身体の動作が制限されているわけではない。足が痛いのはそれ以上足を動かすなというシグナルだが、頭が痛いことがそれ以外の体を動かすなというシグナルだということがあり得るだろうか。それなのに頭が痛いだけでこんなにも活動する気が無くなるのは、おそらく進化の過程上で頭が痛い時にイキイキと活動していた個体は何らかのひどい目にあって淘汰されてしまったからだろうと思う。というわけでこのやる気のなさは自然環境に適応するためのもので、この時間は無為ではないと自分を納得させている。

その他には人間の意識の非連続性をハイデガーはどう考えるだろうかということを考えた。寝たり気絶したりしているとき、現存在は何物にも投企していない。それと現存在の死とは何が違うのだろう。ハイデガーは死を「もっとも固有で、関連を欠いた、確実な、しかもそのようなものとして規定されていない、追いこすことのできない可能性」と定義している。このような死の定義と睡眠とはどのような差異があるだろうか。今日は眠いのでもう考えないが、明日以降の自分に期待しよう。