2017/10/11

セラーズ"Science, Perception, and Reality"の三つ目の論文"Phenomenalism"、"IV. The New Phenomenalism"について。新現象学と呼ばれるアプローチでは古典的現象学(第一のアプローチ)での問題である現象の法則性についての説明を、演繹的に想定される観察不可能な対象に求める。「仮説演繹的実在論」と呼ばれる立場同様、ここでは観察されない対象も仮説が想定するなら(第一義的にではないにせよ)存在するとされる。それを認めた上で、例えば赤い三角形aを見た後にもう一度目を開くと赤い三角形a'が見えるという法則を、そこに観察されない対象が(現象として)存在し続けることから説明する。これはほとんど「可能的感覚内容」と呼ばれた考え方と同じであるように思われる。さて、セラーズ曰く観察不可能なものを想定する理論は観察可能なものを補足説明するものではなく、観察可能なものによる帰納的な一般化と一つ一つの法則それぞれが対応するものであるらしい。そう考えると新現象学による説明は、観察内容の理論と物理的な(観察不可能なものについての)理論をそれぞれ独立に作り上げた後で、それらを対応させなければならないことになる。しかし「可能的感覚内容」の章で見たように観察内容の理論を物理的な語彙を用いずに作ることはできない。

To claim that the relationship between the framework of sense contents and that of physical objects can be construed on the above model is to commit oneself to the idea that there are inductively confirmable generalizations about sense contents which are “in principle” capable of being formulated without the use of the language of physical things. If the argument of the preceding section was successful, this idea is a mistake.
(Sellars, Wilfrid. Science, Perception, and Reality (Kindle の位置No.1849-1852). Ridgeview Publishing Digital. Kindle 版. )

この観察可能なもののフレームワークと観察不可能なもののそれを対応させる「対応原理」は、「明示的イメージ」「科学的イメージ」がそれぞれ独立であるという主張から来ているように思われる。