2017/10/3

セラーズの"Science, Perception, and Reality"の二つ目の論文"Being and Being Known"の後半部分"The Isomorphism of the Intellect and the Real"を読んでいた(二回目)。ここでは知性と物理的な世界の間のアナロジー関係というものが詳細に語られている。前半部分で感覚についての物理世界との同型性が説明されていて、その延長となっている。知性においては同型(isomorphic)であることは写像であること(picturing)と意味すること(signifying)の二種類がある。写像であることは"real order"に属すること、意味することは"intentional order"に属することであり、それを混同することが様々な誤りにつながっているとセラーズはいう。写像であることはある言語的なパターンが物理的世界のパターンと同型であることで、これは感覚によって結び付けられている。この写像はどこまでも物理世界に属するので、例えばAIの回路、私たち人間の脳神経と同一視できる。反対に意味することは例えば「Menschは英語のmanを意味する」といった用法で使われる語で、これはある言葉が物理的対象と同型であることを意味しない。むしろそれは言葉同士、言語同士の同型性を意味するのである。さて、先に登場したmental wordというものは発話される言語とは別々に物理的世界と写像関係にある。このmental wordが発話される言語と同じ意味を持つと考えられる、つまり同型性を持つアナロジーの関係にあることで、私たちの思考は言語のように見えるのである。こうしてmental wordは言語だと錯覚されて、非物理的なものという地位を与えられることになる。また、アリストテレス的な形相が生じるのも、本来言葉同士の間の同型性である「意味すること」が言葉と物理的対象の写像関係だと勘違いされてしまうことによると説明されている。すなわち「manは"人"を意味する」が「manは"人"の写像である」となると、「人」の形相が非物質的に存在することになるのである。