2017/9/13

今日も"Every Thing Must Go: Metaphysics Naturalized"を読んでいる。4章4節"RAINFOREST REALISM"ではデネットのリアルパターンと数学的な構造の対応が形式的に議論されている。あまりよくわかっていないと思うがなんとか再構成してみたい。数学的な構造は具体的なリアルパターン(この場合実在物である)となんらかの関数によって対応づけられる。この際関数にはいくつかの変数があり、それらがこの対応づけにおける「ロケーター」として機能する。このロケーターは筆者たちの構造実在論において「個物」の代替となるものである。また変数が複数考えられることからリアルパターンは次元性を持っている。これは例えば変数を縦横高さの三つだと考えるとわかりやすい。関数の変数同士の間には(関数なので当然)なんらかの関係性が成り立っている。これがロケーターによって具体化されたリアルパターンである。リアルパターンは計算的に圧縮可能なアルゴリズムであるから、これらの要素間の関係(「投射」と呼ばれる)は計算的なものとなる。この関係性は(計算なので)あるスケールの視点においてある計算機によって実装されるが、その際にこの関係が成り立つ可能性という概念を導入して様相性が確保されているようだ。このようにして以前に批判されていたリアルパターンであることの十分性の欠如が克服されている。

To be is to be a real pattern; and a pattern is real iff
(i) it is projectible under at least one physically possible perspective; and
(ii) it encodes information about at least one structure of events or entities S where that encoding is more efficient, in information-theoretic terms, than the bit-map encoding of S, and where for at least one of the physically possible perspectives under which the pattern is projectible, there exists an aspect of S that cannot be tracked unless the encoding is recovered from the perspective in question.
(James Ladyman and Don Ross with David Spurrett and John Collier "Every Thing Must Go: Metaphysics Naturalized" p226)

その十分性というのはおそらく「物理的に可能な」視点や計算機といった実装手段を指しているのだろう。これは人間に実現可能なものを超えているので完全に経験的な制約というわけではない。