2017/7/15

5ヶ月ぶりに『幻想再帰のアリュージョニスト』が更新されるめでたい日となった。今回も呪術による現実の改変という定番の手法が用いられている。

つまり――ゼドははじめから『黄金』位のコーデを所有するアイドルだった。
 衝撃の事実に凍り付くミルーニャたち。
 女装した三十代男のむくつけき肢体は夜会服に彩られどこかアダルティな雰囲気を醸し出しており、蝶の髪飾りによって彩られたツインテールの白髪と腰の蝶型リボンが小悪魔的な少女の愛らしさを匂わせる。濡れた唇にはうっすらとした紅をさし、爪は吸い込まれるような暗い紫。『女』の所作には照れが無い。淀みが無い。完璧な変装、比類無き女装をしているのだから自分は女に決まっている。

 盗賊王の詐術は、世界を、神々と竜の目すらも欺いた。もうひとつの『黄金』を纏うに相応しい、この迷宮最強のアイドルが降り立った瞬間であった。ツインテールの少女はステップを踏むようにクレイに近付いていく。
(幻想再帰のアリュージョニスト 幕間『罪貨の略奪者』http://ncode.syosetu.com/n9073ca/178/

完璧に女装をしている「から」実体としてのゼドが美少女になるというのは、女性の姿の認識が現実そのものを書き換えていることを意味する。これは観念論的な世界観だが、よく考えれば小説の登場人物は観念であるので何の問題もない。そもそも言語的な認識を直接形成する独立な実体的世界というものが、最近の哲学ではかなり危険な主張ということになっている。セラーズ曰くそれは「感覚与件」によって知識が基礎づけられるという「与件の神話」なのだ。つまり私たちが前もって得ている知識(「完璧な変装、比類無き女装をしている」)が認識に対して多かれ少なかれ影響を及ぼしている。だからその認識を完全に改変できるなら世界すら変えることができるのだ(「盗賊王の詐術は、世界を、神々と竜の目すらも欺いた。」)。これは物語世界にしか妥当しない主張のように思えるが、言語から見れば現実世界も物語世界も同様に超越的に想定されたものである。認識が世界を改変するという論理を記述していること、つまり『幻想再帰のアリュージョニスト』(とこの文章)で行われていることはメタ的な記述であり、その辺りがオブジェクトレベルでの他の小説と一線を画するポイントだろう。