2017/7/6

インターネットで規範や政治的な正しさなどを他者に要求している人のモチベーションがよくわからない。ここでは道徳的な「〜すべき」という言明は、同じ規範を共有することでゲーム理論的な社会の全体利益を得るためのものだと考える。その場合同じゲーム、つまり共同作業に従事する予定のない人間に対して規範を共有しようとする理由がない。だからそれは合理的な規範共有のための機能のバグというか誤った使用なのではないだろうか。しかし倫理を一つのミームと捉えると、それが人間の利益のために存在しているとは限らないと言える。協働予定のない人間への規範ミームの押し付けは単に規範の生存のためとも考えられるのだ。別の観点から言えば他者に押し付けたくなるような規範ミームは多くの人の脳内に住み着くことになる。またある社会で人間の適応度を高めていたミームが現在の社会では適応度に関わらない(または適応度を下げる)ようになっても、それが単に広がりやすいからという理由で広がっていくことは十分にあり得る。ただこう主張することで規範の価値を貶めてみても、私たち有限の思考能力しか持たず他者の振る舞いを完璧には予想できない私たちは、規範の共有によって協調する他にない。これこそ人間というか生物の持つ悲劇ではないだろうか。

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