2017/7/5

大学に行ったり寝たりしていたら1日が終わったので大学でのことを書く。カントの『純粋理性批判』の購読演習をとっていて、今は「純粋理性の誤謬推理」あたりを読んでいる。"ich denke"="cogito"つまり「私は考える」という命題が、カント以前の形而上学の一部門である合理的心理学においては誤って主語とされて超越論的述語(カテゴリー)を付与されることが問題となっていた。誤って主語とされるというのはカントにとっての"ich denke"は「超越論的統覚」でありすべてのカテゴリーよりも一段階メタ的なものであって、カテゴリー的な判断の主語とはならないからである。このことによって"ich, als denkend"つまり「考える私」=魂を主語として四つの判断が生まれる。

  1. 魂は実体である
  2. 魂は質的に単純である
  3. 魂は数的に単一である
  4. 魂は空間内の対象と関係を持つことができる

これら全てはカントにとって純粋理性の誤謬推理ということになるのだと思う。一つ目は魂に実体性を与えるもので心身二元論の基礎をなす。二つ目は魂はそれ以上分割できないという主張で、例えば脳のモジュールという単位に魂を分割還元することができなくなる。三つ目は魂の連続性を含意するだろう。魂が数的に単一ならある瞬間𝑡₁における魂と𝑡₂におけるそれは同じものということになるだろうからである。四つ目においてはデカルト以降のさまざまな哲学者が悩んだ心身二元論の問題が浮き彫りになる。延長(物理的対象)も実体であるということから、一つ目と四つ目の両立ということが困難であるという点が心身二元論批判の核をなしている。