2017/6/30

研究室でのフッサールについての発表を聞いていたら、現象的な現れから超越的(客観的)な対象を構築するという話が出ていて面白かった。現れは視点に相対的で、対象を様々な角度から見たときそれぞれの時点で別々の見え方をする。そのような現れから客観的な実在物を構築する作用があると考えられる。こういった統覚的な働きは、デネットが"From Bacteria to Bach and Back"で言っていた「デジタル化」という働きに近いかもしれない。時間上で変化し続ける現れからデジタルな、つまりそれであるか否か(all or nothing)な対象を取り出してくる働きである。こういった働きはフッサールに限らずカントなどいろいろな哲学者が述べているような感じがする。聞いていた発表ではそれぞれの現れから「見ている私」の位置を逆算して身体的な主観が出現するという話につながっていた。この点はハイデガーも同じような話をしていたのでそのルーツを発見した気分である。この「現れ」が先で「主観」が後という考え方は現象学のスタンダードなのだろう。デネットが"Sweet Dreams"で使っていた意識の名声モデルや反響モデルはこの「現れ」先行型のモデルだと言えると思う。