2017/6/26

デネットの「会話ストッパー」としての道徳という考え方が気になっている。"Darwin's Dangerous Idea"では以下のように述べられている。

Now, how shall we avert a cacophony of colleagues? We need some conversation-stoppers. In addition to our timely and appropriate generators of considerations, we need consideration-generator-squelchers. We need some ploys that will arbitrarily terminate reflections and disquisitions by our colleagues, and cut off debate independently of the specific content of current debate.

Dennett, Daniel C.. Darwin's Dangerous Idea: Evolution and the Meaning of Life (p.506). Simon & Schuster. Kindle 版.

単に自分一人が行動する際に考えこみすぎて時宜を逃さないようにするための「会話ストッパー」だと思っていたが読み返してみると微妙に違うような気がする。他者と協調戦略をとる際に互いの行動を予想できるようにすることが「会話ストッパー」としての道徳なのではないだろうか。「会話ストッパー」がなければ相手の裏切りを常に考え込みすぎてしまう。相手が道徳的に振る舞うと確信できていれば裏切られる心配なく協調的な行動をとることができるということを言いたいのだろう。これもある意味で適応主義的な思考と言える。道徳は一つのミームでこのような意味で人間の適応度を高める共生的なものである。しかしadaptationが常にadaptiveではないことを考えると、現在の人間に利益にならない道徳が生き残っていることも考えられる。だからこそ倫理学というものは常に道徳を疑い正当化の根拠を見つけようとするのだろう。

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