2017/6/19

"Sex and Death"を最終章まで読み終わった。最終章では"universal biology"つまりは「生命」とは何かという問題が扱われている。特にコンピューター上でシミュレートされる人工生命の話が面白かった。「強いAI」の話題と同じように「強い人工生命」の擁護者はこの人工生命は本来的な意味で生命を持っていると主張している。

Just as "strong AI" claims that some computing systems housed in current or near-current computers are not mere simulations of thought, but instances of it, the defenders of "strong A-life" argue that some computer models of lifelike interactions are not simulations of life, but instances of it. They are alive.
(Kim Sterelny, Paul E. Griffiths "Sex and Death: An Introduction to Philosophy of Biology" p361)

確かに強いAI論者もAIが「知性」や「意識」を持っていると主張するだろう。しかしデネットはこの知性や意識が「全か無か」の性質ではない、つまりある閾値を上回れば意識を持っていると言えるような性質ではないという。結局知性や意識は私たちがそこに"intentional stance"を見出すかどうかの問題なのである。同様に生命もまた「全か無か」の性質ではないと考えるなら、私たちがそこに生命を見出すかどうかが問題となる。つまり人工生命が生命かどうかの定義は境界設定者にある程度相対的だと言えるだろう。

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