2017/6/16

今日もまた"Sex and Death"を呼んでいた。12章はグールドの大量絶滅を例とした進化のプロセスは適応より偶然によるものだという主張が検討されていた。適応主義者が進化をすべて必然のプロセスであると考えているわけではないことは明白であり、いわゆる藁人形論法だというのがデネットの主張だったのでその辺りを思い出しながら読んだ。おそらくグールドは生態系のレベルでの適応プロセスだけで進化のすべてを推定できるという立場に反対したかったのだろうということは思った。さて、この偶然と必然(適応)の違いというのがイマイチよくわからない。偶然的なプロセスも物理的によく見れば(不確定性の話はさておき)物理法則に従った必然的なものと考えることができる。ある選択が偶然だと語るときそれは同様に確からしいものから一つが選ばれることを言う。この同様に確かである、つまり複数のものがアイデンティティを持っているというのはどういうことなのだろう。私の考えではこのアイデンティティは物自体が持っている性質というより私たちがそこに投射する属性なのだ。例えば複数の「赤い玉」から偶然選ばれたというとき、それぞれの玉が全く同じ物理的性質を持っているわけではなく、私たち認識者によって「赤」という属性を投射されて初めて同じものとして扱われる。同様にある生物Aのうち一体が偶然選択されるというときその「生物A」というものは投影された属性である。そしてそれぞれの物理的性質のレベルで見たときその自然淘汰はある環境要因に相関した必然的なものなのだ。だから進化のプロセスは偶然的とも必然的とも言えるのだろうと思う。