2017/6/2

准教授に勧められた"Sex and Death: An Introduction to Philosophy of Biology"という本を読んでいる。今日読んだ部分ではドーキンスのいう"延長された表現型"が話題となっていた。この話題を見るたびに思うが、人間について"延長された表現型"というときそれは人間社会全体まで延長してしまう。あまりに複雑なそれをすべて生物学の観点から分析することはおそらく不可能だろう。"延長された表現型"によって私たちが為すべきことは、社会のような複雑なシステムも遺伝子の表現型として考えられるということを念頭に置いておくこと、つまりそれが「私たち」によるデザインだ、という述べることの意味を再考することだろう。反対に社会というシステムを具体的に分析するのは社会学の仕事であり、生物学の仕事ではない。生物学が物理学に還元されえないように、それぞれに異なったスケールの対象を持つ学問領域相互に還元されない。つまりドーキンスの"延長された表現型"を真面目に受け取ることは社会学が必要なくなるということを意味しないのだ。