2017/5/29

「私」は魂ではなく脳が紡ぎ出す物語の主語である。デネットはこのような「物語的重力の中心」としての自己という思想を『解明される意識』という本で述べていた。今期放送している「Re:CREATORS」というアニメでは物語の登場人物、「被造物」が作者たちの世界に現れてなんやかんやしていて、そのような点から考えると面白い。「被造物」たちは当初自分を構成する物語の文法に従って行動していたが、作者の世界に来て自身が「被造物」である事を自覚してからはその文脈から離れていく。この物語からの超越という事態はデネットの「物語的重力の中心」の話を考えるなら「私」たちにも当てはまると思う。単に「私」が物語上の主語なら、その振る舞いはすでに記述され「終わって」いる。つまり、言語的思考の上では私たちという存在者は常に決定論的なのだ。しかし私たちの行為はそれを超越している。なぜならそれは「これから」記述されるからだ。