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2017/5/16

昨日の話の続きだがセラーズの"Science, Perception, and Reality"をちらっと読むと以下のようなことが書いてある。

Let me refer to these two perspectives, respectively, as the manifest and the scientific images of man-in-the-world. And let me explain my terms. First, by calling them images I do not mean to deny to either or both of them the status of “reality.” I am, to use Husserl’s term, “bracketing” them, transforming them from ways of experiencing the world into objects of philosophical reflection and evaluation.

Sellars, Wilfrid. Science, Perception, and Reality (Kindle の位置No.163-166). Ridgeview Publishing Digital. Kindle 版.

"manifest image"や"scientific image"は実在というものに関してフッサール的に「カッコに入れて」考えているようだ。とするとセラーズはクオリアの実在についても有るとも無いとも主張していないと言える。しかし、デネットは本当にクオリアが「存在しない」とまで主張しているのだろうか。彼の言いそうなこととして、クオリアが適応度に関わらないならそれを持つ能力が進化のプロセスの中で保存される理由がない。これは"design stance"上での論理であり、クオリアを含む"intentional stance"というか"folk phychology"が独立しているという論者からは受け入れられないだろう。デネットが言うようにクオリアの存在証明が直感によるものでしかないなら、おそらく"folk phychology"上の論理では存在するともしないとも証明できないのではないかと思う。