2017/5/10

長谷敏司の『BEATLESS』を人に勧めて感想を尋ねるという悪趣味なことをやっている。ラストシーンでは今まで知っていたレイシアと連続性がないことが明らかな、「カタチ」だけ同じな新しい機体に対して以前と同じ感情を持てるかということが問われている。主人公アラトの答えはYesであり、魂という連続的な実体、デカルト的重力に日常的な思考を依存する私たちにとってのそれは圧倒的に異質な答えである。しかし、今日では人間が魂を持っていると本気で考える人はいない。魂が存在しないとわかっていながら、私たちは「カタチ」ではない「何か」が存在しないということに対して拒否感を覚える。それは人間が他者の振る舞いを説明するとき文法的に不可避に要求する主語、物語的重力の中心に引き寄せられた誤りでしかないけれども、「あらゆるモデルが間違っているが、いくつかは有用である」。要するに「魂」というものを想定した説明は有用であるがゆえに現在まで使われてきたのだ。しかし魂が物理的説明を拒絶する連続的な実体であるとか、独立な因果系列を持つとかいう形而上学的説明は人間の心の科学的解明を妨げてしまう。だから魂は科学と共存する形で再定義されなければならないのだ。『BEATLESS』において人間の言う魂はAIには理解不能だと言われるが、この意味での魂なら彼らと共有することができるだろう。