2017/5/9

昨晩から頭が痛かったりする上に准教授が体調不良で休講になったりするので本日はお休みということにして午前中は延々寝たり、そのあとは延々アニメを見たりしていた。アニメを見てその感想をインターネットで検索するとアニメキャラクターに嫉妬しているとしか思えないようなコメントがあったりする。創作の登場人物に嫉妬するというのはどういう事態なのだろう。社会に生きている他者はニッチを奪い合う競合者であり、すでにニッチを持っている他者に攻撃的な感情を持つというのは進化的に合理的だと考えられる。持つ者に対して肯定的な感情しか持てない個体は持たないままに死んでいき子孫を残せないだろうからだ。しかしアニメキャラクターは私たちの競合者なのだろうか。それがありえないということはないかもしれない。例えば女性がみんなアニメキャラクターにのみ性的な感情を向けるようになれば私たち男性に生殖の機会は訪れないことになる。しかしそんな事態まで(無意識的にせよ)想定してインターネットに書き込みしているということはどうにも考えにくい。むしろ問題なのはキャラクターと他者たちの違いの方かもしれない。アニメキャラクターは私たちの思考の中にしか存在しない。しかし、他者たちがそれとは異なった意味で実在すると言えるだろうか。私たちは他者を見ているのではなく、自分で作り出した他者たちのモデルを見ている。キャラクターは物理的肉体を持たないが、それでも他者たちと同じようにモデルとして「実在」している。私たちはモデルを見て、モデルに嫉妬し、モデルを批判するコメントをインターネットに書き込む。そしてそんな自分たちですら、このように言葉にする、つまりモデル化することでしか知ることはできないのである。