2017/5/3

"The Master Algorithm: How the Quest for the Ultimate Learning Machine Will Remake Our World"の第6章を読んだ。ベイズ推定を用いたあれこれが紹介されている。ベイズ推定はデネットが言及していたがよくわからなかったので読みたい部分であった。ベイズの定理については数式上の証明もあったりしたのでそこそこ理解できたと思う。ヒュームを持ち出されるとベイジアンたちはベイズ推定は主観的な信念の確度を変化させるだけだと主張するらしい。

Bayesians’ answer is that a probability is not a frequency but a subjective degree of belief. Therefore it’s up to you what you make it, and all that Bayesian inference lets you do is update your prior beliefs with new evidence to obtain your posterior beliefs (also known as “turning the Bayesian crank”).

(ページ149).

カント的な立場を取れば主観的な信念の確度と客観的な頻度の区別は必要ないと思う。しかし数学的な定理を用いたシステムが主観的な信念に関わるというのがなんだか可笑しい。数学の客観性はどこに行ったのか。

他にも面白い文章があった。

As the statistician George Box famously put it: “All models are wrong, but some are useful.”

(ページ151)

「すべてのモデルは間違っているが、いくつかは有用である。」例えばデネットの"intentional stance"はモデルであり間違っているが、それでも人間の行動を予想する上で有用だと言える。西村(2012)*1で言われるような「解釈主義+プラグマティズム」的な見方がよく表された一文だと思う。