2017/4/27

デネットは"physical stance""design stance""intentional stance"という三つの説明レベルを考えている。そしてセラーズによるとそれぞれの説明言語の対象を実在物と扱っていいようだ。それなら"philosophical stance"というものを想定して形而上学的な対象に実在性を与えても良さそうである。その場合考えなければならないのは"philosophical stance"に有用性があるかどうかということだ。デネットの想定する三つの"stance"は物理現象、デザイン、人間の行動というそれぞれのレベルでの予測形成という有用性を持っている。しかし形而上学が新規な予想を行うというのは考えづらい(もっとよく考えれば可能かもしれない)。だが何も有用性は予測の形成だけに限られるわけではない。例えば形而上学的な対象を想定した説明が他のレベルでの説明をより直感的にし、それらのプログラムの予測形成を助けるということがあるかもしれない。イデアのような説明言語が物理学や心理学をよりクリアにするということがあり得るだろうか。もし可能なら分析哲学の理論が形而上学を擁護するという変な事態が発生して面白いかもしれない。