2017/4/24

セラーズ『経験論と心の哲学』を読み終わった。ロバート・ブランダムのコメンタリーを読み終えてこの本もようやく終わりかと思ったら訳者によるコメンタリーが始まったのでびっくりしたが、ブランダムのコメンタリーよりわかりやすかったので許した。訳者によるコメンタリーを読んで、本文ではよくわからなかった「心理的唯名論」と言う概念が理解できた。心理的唯名論とは意識活動がすべて言語によって行われるという主張のことらしい。デネットの意識=ミームによるユーザーインタフェースと言う主張とだいたい軌を一にしている。このような主張を読むたびに言語的でない思考は存在しないのだろうかと考えていた。セラーズは感覚と思考を同じカテゴリーに帰することを批判している。私の違和感は感覚と思考を同じカテゴリーに入れてしまうことからきていたのかもしれない。意識は人間の活動をとらえる一つの言語的枠組み、理論言語で、その理論は言語的共同体内での実践的使用がルーツとなっている。だからこそ意識は伝達可能なもの、つまりはミームによって構成されているのだ。反対に言えば、実践的役割を持たない内的な声というものが進化してくる理由がない。自身の状態を知るための意識は他者に伝達可能な形でしか進化してこないのである。