2017/4/9

"From Bacteria to Bach and Back"の今日読んだ部分ではミーム論への様々な批判を確認した上でそれへの返答が述べられたいた。その中でミーム論はラマルク主義なのではないかという批判があった。遺伝子のエピジェネティクス的な意味ではその批判は的外れなのだが、ミームの複製にはある意味でラマルク主義的なところがある。あるミームが初めて人の方に侵入するのは遺伝子と同じように複製だが、同じミームをもう一度受け取るのはそれと同じ複製とは言えない。そのようにして二回目以降に受け取られるミームは既に脳内に存在するミームと同種のものでありながら、別のアフォーダンス的文脈で受け取られることでそのあり方を変えてしまう。これはある意味でラマルク主義的な獲得形質だと言えるだろう。ただしそれがダーウィニズムに反する振る舞いというわけではない。

My informational structure for the word may be adjusted by encountering these later tokens of the word, and these could lead to changes in features that could then be inherited by any further offspring of my version. This would be Lamarckism of a sort at the meme level, one of many possible variants of natural selection in Darwinian populations.(Dennett, Daniel C. From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds (p.246). Penguin Books Ltd. Kindle 版. )

この観点はなかなか面白いと思う。ミームは単に脳と脳の間を複製されるでなく、様々な文脈を摂取して変質し続けているのだ。ちなみに一回目に受け取られたものと二回目のものが異なるミームではなく同じミームだと言えるのは、それがパターン認識によってデジタル化された同一のトークンだからである。