2017/4/5

修士論文に向けて研究の目的というものを考えている。哲学がやりたいからやっているくらいの適当さで大学院に入ったが、研究計画書やらに書く必要があるので明確化しないといけない。プラグマティズムという考え方を採用するなら、哲学的な真実も人間の実際上の目的のためにあってよいことになる。哲学もまた進化のプロセスの中で生まれた人間の行動として存在する以上、進化上の何らかの意味を持っているはずだ。すなわち、哲学も生存競争のためのデザインだと言えるだろう。だから、この立場での哲学をすることの目的は適応度を上げることなのだ。そこで問題は、誰の適応度を上げるのか?ということである。第一に考えられるのは遺伝子だ。しかし哲学をやることで生殖に繋がったという事例はあまり見ない。すると第二に考えられるのがミームである。哲学をすることで脳内のミームをよりよく伝達することができるようになる、例えば明晰な思考はより伝わりやすいということはあり得そうだ。他にも単に哲学的な思想そのものを伝えるために哲学をするということも哲学の目的として考えられるかもしれない。そうなると研究計画書にはどう書けばいいのだろう?「この研究の目的はこの研究を伝達することです」とか?流石にちょっとふざけているのかと思われそうだ。