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2017/4/1

特に嘘をつくこともなく今日も"From Bacteria to Bach and Back"を読んでいる。ミームトークン/タイプの区別が生物における個体/種に相当するという部分が面白かった。タイプを唯名論的にしか考えないのは、"Darwins's Dangerous Idea"で生物種を唯名論的にしか考えないアイデアに対応している。これはダーウィニズムをプラトン的な"essentialism"の否定と考えるデネットらしい論点と言える。物理的に存在するのはミームトークン(に相当する脳神経パターン)であり、タイプが存在するのは言語上のみということになる。このようなタイプを見出すこと、つまりパターン認識デネットは「デジタル化」と言っている。本来は無限に差異のあるアナログ的なトークンたちをタイプという「全か無か」の区別に押し込めるからだ。その際に言語の発音やフォントと言った個々のトークンに固有な要素は排除され、"phoneme"(音素)というタイプが形成されることになる。そしてこのデジタル化によって言葉というミームの複製が可能となる。またこのようにデジタル化された言葉は私たちの認識における「ユーザーインタフェース」としての役割を果たす。"Consciousness Explained"では言語が意識におけるユーザーインタフェースであるという論が展開されていたので、そことの関係を探っていきたい。