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2017/3/29

今日もまたデネットの"From Bacteria to Bach"を読んでいた。意味論的な情報が「得るに値するデザイン」によって定義されるというのがよくわからない。

So let’s consider, as a tentative proposal, defining semantic information as design worth getting, and let’s leave the term “design” as noncommittal as possible for the time being, allowing only for the point I stressed in chapter 3, that design without a designer (in the sense of an intelligent designer) is a real and important category.(Dennett.D From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds 2017)

先まで読み進めるとデネットは「アフォーダンス」の思想から意味論的な情報を考えているようである。生物は遺伝子を次世代に残すために「デザイン」された生存機械であり、その目的に資する情報以外は外界から得る必要がない。だから意味論的な情報はデザインを改善する(適応度を上げる)ためのものなのである。いや、特に意味のない情報もあるだろうと思うのだが、そんな情報もいつか役に立つかもしれないと蓄えてしまうものらしい。役に立つ情報を得るための器官が副次的に集めてしまった情報という考え方もできると思う。

ところでアフォーダンスというのがこのように進化論を認知科学に持ち込んだものであるのと同様に、プラグマティズムというのは進化論を認識論に持ち込んだものだと考えている。そしておそらくハイデガーの思想はプラグマティズム的な位相において存在論を展開したものだと思う。それならハイデガーの思想と進化論を連絡することもできそうだ。ショーペンハウアーと進化論の連絡を卒業論文でやったのでまたそれかという感じもするが。