2017/3/17

今日はひたすらこんな図を作って過ごした。『存在と時間』第二篇第一章〜第三章あたりの内容を表現したかったのだろうと思う。
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実際には個々の状況は三次元的なので、これは二次元に落とし込んだ模式図ということになる。自分ではうまくできたと思うのだが、ハイデガーを読んだことのない人に伝わる気がしない。それぞれの状況は可能性の数だけある「可能世界」ということになるだろう。どうにも「気づかい」の連関としての世界と瞬間ごとに「死」という終わりの可能性を持っている現存在を同じ次元で表現するのは正しくない気がするので、このような図になった。「状況」上の点が現存在と言えるし、縦軸の棒が「死」に先駆した現存在全体も考えられる。この棒が各状況を貫くまで世界にはこれといった定点はなく、すべての存在は気づかいとして溶け合っている(頽落)。だからこの棒は現存在を個別化する(点を作り出す)死への先駆的決意性なのだ。死は気づかいの終点なのでそこから気づかいが発せられることはない。反対に個別化された現存在は気づかいの始点であり、決意として新たな気づかいの連関をスタートさせる。

ただ第二篇第四章以降で展開される時間性についての議論は入っていないので、その辺りを入れるとこの図はまた変化するだろう。そもそも幾何学的に図示できない可能性は大いにあると思うが。