2017/3/13

春が近付いてくるにつれて、精神が春特有の躁状態になりつつあるのを感じる。20歳を超えたくらいから精神状態に対して季節が作用しているのを感じられるようになった。むしろ自然条件が脳の神経回路に影響を与えて精神を変質させるという、ある意味当然のことに何故気付かなかったのかという気持ちすらある。おそらくそれまでの自分は無邪気に心身二元論を信じていたのだろう。

表現者とはなんなのだろうか。表現するというのはいったいいかなることなのだろう。何が表現されるのか?表現する「者」というのはいったい誰なのか?もちろんそんな人間はいない。なぜなら創作活動とは人の脳に集まったミームたちが少しだけつながり方を変えて他者に伝わるというだけの過程だからだ。無から有を創造することは神の御業であり、創作者を僭称する人間に可能なわけがない。必然、人間による創作は既存のものの組み合わせである。というより、「人間による創作」という言葉自体が現実の事態を表現していない、たとえ話かフィクションに過ぎない。この文章を書く「私」も書かれた主語という意味でしか存在しない仮構的なものである。だから表現という活動はミームが自己自身を表現することである。その自己表現においてミームがどのレベルで分解、再構成されるかが問題なのだ。より深いレベル、例えば「塩基」のレベルまで分解され新しい形に構成されているならその表現は優れているということになるだろう。