2017/3/9

あらゆるものに価値はない。なぜなら価値とは自身が世界に付与するものだからだ。さて、自分で見出した「価値」に価値はあるのだろうか?これは無限退行の始まりである。それを止めるために、人は超越的なものによって世界に絶対的な価値を与えようとしてきた。それは神であり、国家であり、イデアであった。超越的なものなんて存在しないと知った私たちは、もはや絶対的な価値を持ちえない。それが当然だと思いつつも、どうしてか不満がある。これはなぜなのだろうか。おそらく私たちの脳は進化の過程上で「絶対価値への欲求」を備えたのだろうと思う。自分で考えた価値に従って行動するより、誰かが決めた価値に従ったほうが社会的な協調は容易となる。その場合、絶対価値に従うことが適応的なのである。すなわち、絶対価値を求めそれを疑わない個体がより多く子孫を残すのだ。それならば絶対価値欲求を抑えることは性欲を抑えることと本質的に変わらない。そう考えると上記の「不満」を付き合って生きていくこともできる気がしてくる。性欲を発散するのと同様に、時々神の存在証明をしてみたりして絶対価値欲求を発散させてやればいいのだ。