2017/2/23

今日も『存在と時間』を読んでいた。人間は「次の瞬間死ぬかもしれない」という可能性から常に持っているのにそこから目を背けている。しかし一瞬後に自分が死んでいるかもしれないと意識し続けるのは一つの狂気ではないだろうか。だがそれも、誰でもない「ひと」が決めた人間として正しいあり方から逸脱しているというだけなのかもしれない。誰が正しく、誰が狂っているのだろう。

月曜日と木曜日はアルバイトに出かける。その際に本屋に行って「SFが読みたい! 2017年版」を立ち読みしたら、10年台前半ベストに酉島伝法『皆勤の徒』が挙がっていた。作家も本自体も知らなかったのでその本屋で見つけて購入した。日本のSFにはアンテナを張っていたつもりだがまだまだのようだ。あと帰ってからKindleデネットの新刊"From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds"を買った。目次を見る限り知っている話が多そうだがそれらがそうアップデートされているのかに注目したい。ところで読んでいない本が机に積み上がっているのにさらに本を買ってしまうのは、本を買うこと自体に快楽を感じているからだと思う。手段と目的はいつも逆転する。

院試が終わったら買おうと思っていたMacBook Airを注文した。大学が始まるまで使うことはあんまりないだろうけど。家の中をウロウロしながらKindleデネットの本を読もう。

思想書を読むのが難しいのは、その中で言葉の意味、言葉同士のつながり、推論の方法などの「思考の構造」が自分が持っているものと違うからだと思う。最近ハイデガーをだんだん理解できるようになってきたのは、私の「思考の構造」がハイデガーのものに適合しつつあるのだろう。様々な思想書を読むことは自分の中に様々な思考の構造をストックしておくことだ。それはただ日常的に言葉をかわす以上の他者の理解であり、そのようなところに人文学の意義があるのかもしれない。